最近,Youtubeの影響もあって格闘技を見るのにハマっています。

格闘技を観ていて面白いなと思うのは,試合前の煽り合いから始まって,個人対個人の殴り合いを最大限ドラマ化しようとするところです。

格闘技は,野球やサッカー,柔道ほどメジャーなスポーツではないなかで,殴り合いを興行として成功させないといけません。どうでもよい人同士の殴り合いだと街のけんかと変わらないので,選手一人ひとりが持っているストーリーを事前に知らせておくことが,運営が客を呼ぶのに必要な準備です。

選手のキャラクターやストーリーをある種仕立て上げて宣伝する仕事は,これまでテレビなどマスコミが担ってきました。ですが,Youtubeが完全にこの流れを変えました。

選手個人個人がYoutubeチャンネルを持っていて,プライベートや練習映像を発信し続けているので,選手のキャラクターやストーリが非常によく宣伝されていて,その選手が殴り合ったり失神するとなると,テレビで放送しても視聴率が稼げます。

逆に言うと,ただ強いだけでは,運営も選手もビジネスとして儲からない難しい世界ですね。

そして,この流れは何も格闘技だけでなく,すでに普通のビジネスの世界にも広がっています。

「格闘家/Youtuber」のような肩書は一見おかしいですが,競技と興行としての性格を非常によく表して,選手が食っていこうとするなら必然の肩書だと思います。

アリスの「チャンピオン」の曲中では,”君”や”俺”という,聴き手が都合の良い人物を連想できるような言葉を使いながら,年を取ったチャンピオンが負けを予感しながら逃げずに闘いに向かうんだよ,という背景を最初に説明しています。その結果,若い挑戦者に敗れることにも意味が生まれます。前半の導入部がないと,この曲はここまでヒットしていないと思います。

現代の格闘家だけでなくビジネスマンには,この導入部を自分で発信して,自身の試合や仕事に客を集めたり,付加価値をつけられる能力が必要になるでしょう。

「チャンピオン」の最後のライラライ・・・っていう節は有名ですが,個人的にはもう2,3回繰り返してほしいなとずっと思っていました。でもこれって,Simon & Garfunkelの「THE BOXER」のオマージュだと最近知って,この短さに納得しました。

Simon & Garfunkelの「THE BOXER」は,曲中のファイターが,闘い続けていくとうたっているので,ライラライ・・・っていうフレーズが何度も繰り替えされますが,「チャンピオン」は短く終えていることで,敗北して立ち去るチャンピオンにぴったりなのかあと、勝手に納得しました。

Simon & Garfunkelの「THE BOXER」は,耳触りは良いですが,切ないながらも力強く訴えてくる歌詞です。文法が結構難解なので,あくまで私の解釈ですが,最後の部分以外は,ボクサーが自分の貧しく孤独な過去を語るパートです。ニューヨークという大都会の過酷な冬が,語り手の孤独さをなお引き立てます。

最後になって,ようやくこのボクサーの現在の状況が客観的に歌われるのですが,アリスのチャンピオンとは違って,本当に生業のためだけにぼろぼろになりながらスラムでファイトマネーを日銭として稼いでいるようなボクサーの姿が連想される歌詞です。

そんな生活辞めてしまって故郷に帰りたい!と叫びますが,故郷にも帰れない身なので,そのまま闘い続けるしかいない。殴られ続けた打撃痕を忘れられない屈辱として身体に刻みながらも,その状況から抜け出せなくて,その後も続く彼の人生が,ライラライ・・・ライラライ・・・と歌われ続けているような気がします。

このボクサーも,自分を売り込む発信力があれば,スラムの空き地でなくあるいはラスベガスのリングでファイトマネーを稼げたかもしれません。

この曲はある種,都会で孤独に闘う現代人を連想させるので,苦しいときに聴くと勇気の出る,昔から拠り所にしている曲です。

ちなみに,作詞作曲者のポール・サイモンが,コロナ流行下で苦しむNYの人々に向けて,昨年,自宅から「THE BOXER」を演奏して公開しているので紹介します。